北海道コンサドーレ札幌の快進撃に刺激を受けたのでこれまでの歩みを振り返ってみる

コンサドーレ
スポンサーリンク

こんばんは。北海道コンサドーレ札幌をひっそりこっそり熱烈応援しているたにです。

いやー、やりました。やってくれました!!

今日、11/24にヤマハスタジアムでジュビロ磐田とJ1第33節を行い、2−0で札幌が勝利しました。
前半早い時間に早坂のクロスからオウンゴールを誘い1点を先制。その後もコンサペースで試合は進むも、前半はそのまま1−0で終了。

後半は開始から磐田の勢いに押され嫌な雰囲気でしたが、U 21代表帰りで途中出場の三好くんが素晴らしいミドルを磐田ゴールに突き刺し、そのまま勝利!

他会場の結果もあり、札幌は次節勝利で自力での来季ACL出場権獲得という状況になりました。

いやー、本当にすごい。ここ数年のコンサドーレの快進撃。
すごいを通り越して感服です。たくさんの勇気と感動をありがとう!

そこで、1人でも多くの人にこのサクセスストーリーを知ってもらうべく、簡単にではありますが北海道コンサドーレ札幌のこれまでの歩みを振り返ってみたいと思います。

道内初のプロスポーツクラブ。聖地厚別。

コンサドーレ札幌が誕生したのは1996年、 北海道初のプロスポーツクラブ として発足しました。その後、2年間のJFL期間を経て、1998年からJリーグに参戦。初年度の成績は12勝22敗で、全18チーム中14位(年間順位)でした。

翌年からJ2が発足することに伴い、J1参入決定戦に参加することになるのですが、その戦いで札幌は連敗し、Jリーグで初の降格チームとなってしまいます。

ただ、このJ1参入決定戦の参加チームを決めるレギュレーションが札幌にとって不利な条件となっていて、札幌にとっては理不尽さを感じざるを得ない降格となりました。

翌年、フランスW杯で日本代表監督を務めた岡ちゃんこと岡田監督を招き、1年目はJ2で5位という成績でしたが、岡田体制2年目には監督自ら補強に動いたことや、エメルソンという反則級の外国人が加入したこともあり、31勝5分4敗という圧倒的な成績でJ2優勝。J1復帰を果たしました。

この頃に所属していた選手としては、今でもコンサドーレ関連のメディアで活躍する吉原宏太さんや、札幌出身の山瀬功治さん、そして、のちにクラブ社長となる野々村芳和さんなどですね。

また、まだ札幌ドームが完成していないこの時期のホームスタジアムは札幌厚別公園競技場で、劇的な逆転劇やJFL時代のリーグ戦21勝0敗という成績もあって、今でも「聖地厚別」と言われる所以になっています。

当時僕はまだ小学生で、札幌に住んでいなかったこともあり、テレビで観戦したり、たまーに札幌まで連れてきてもらって観戦したりという程度でした。ただ、純粋無垢なサッカー少年だった僕は、Jリーグ発足からのメディア戦略によるヴェルディ川崎ファンから、徐々にコンササポーターへの道を歩み始めていました。

初のJ1残留と2度目の降格。そして、0からの再出発。

札幌ドームが完成した2001年、岡田体制3年目でのJ1リーグは年間11位で初のJ1残留を達成。そしてこのJ1残留という結果は、クラブにとってその後16年間達成できない高い高い壁となります。

岡田監督が退任した翌年の2002年は開幕から黒星を重ね、3人の監督が入れ替えたもののチームを立て直すことはできず、最下位で2度目のJ2降格。翌年もチームはパッとせず、1年でのJ1復帰は果たせませんでした。

2004年、クラブの経営危機を発端として強化費削減、経営黒字化を目的とした長期育成計画「5段階計画」を打ち出しました。その影響もあり、計画実行の初年度はJ2で初の最下位。選手の不祥事も重なり、文字通りの再出発となる1年になりました。

ただ、今思えばこの年からユースチームの強化という大きな軸を持って活動したことが、後のJユースカップ優勝やユース選手の大量昇格に繋がってることを考えると、中長期計画の重要性を再認識させられますね。

僕個人としては、2003年はちょいちょい現地観戦してましたが、2004年から札幌に住むようになり、観に行こうと思えばいくらでも行けたのに、行った記憶はほとんどないです。だって、負けるんだもん。。。

生粋のエレベータクラブとしての地位を確立した16年間。

2004年からの柳下体制は3年間、アクションサッカーと言われる攻撃的なスタイルを継続し、3年目の2006年にのちのブラジル代表フッキが加入し、J1昇格はならずも、天皇杯で初のベスト4進出。

2007年からは三浦体制となり、堅実な守り重視のサッカーに切り替え、初年度からJ2優勝。石井謙伍、西大伍、岡本賢明といった若手が次々と活躍した終盤は鮮明に覚えているのと、最終節の水戸戦でも決めたダヴィの活躍が光ったシーズンでした。が、3度目のJ1となる2008年は年間4勝しかできずに最下位で降格。

2009年からは石崎体制となり、3年目の2011年にJ2で3位となり、4度目のJ1昇格。最終節のFC東京戦は現地で観戦してましたが、ものすごい感動と興奮を味わったのを覚えています。

満員のドームに響き渡るサポーターのチャント、特に試合開始前の「We are Sapporo!」と後半途中の絶妙なタイミングでくる「行け札幌!勝利信じ、最後まで戦え(スティング)」が最高に気分を高揚させてくれます。
これをぜひ、みんなに味わってほしい。

2012年、石崎体制4年目のJ1挑戦はまたしても年間4勝で最下位。総失点88、得失点差-63、勝点14という数々のワースト記録を更新。

このように、この頃は数年ごとにJ1昇格と翌年降格を繰り返し、世間に対してエレベータクラブという地位を確立させる結果になりました。また、J1での成績が毎回散々な結果だったため、「昇格してもすぐ降格する」という印象まで植えつけたと思います。

そして2013年。クラブOBの野々村芳和さんが社長に就任。
ただ、クラブライセンス制度の影響もあり、強化費のさらなる削減が必要であり、最悪クラブ消滅の可能性すらある状況に追い込まれます。

北海道とともに、世界へ。

ここから、野々村社長はクラブに大きな変革をもたらしていきます。

まずやったことはクラブの現状をサポーターに説明すること。それは、応援する側とされる側で現状の認識にギャップがある状態だとお互いの期待がかみ合わず、同じ目標に対して一体的になれないと考えたからだと思います。

この頃、社長が繰り返し説明していたのは、

  • チームを強くするためにはお金が必要である。
  • 過去の放漫経営もあり、負の遺産が蓄積している。
  • クラブ消滅すらあり得る危機的状況である。
  • そんな状況を理解して、チームを盛り上げてほしい。
  • 応援だけじゃなく、一緒にクラブを作っていこう。
  • クラブを作る仲間をみんなで増やしていこう。
  • 最終的には北海道とともに世界に挑戦していこう。

といった内容だったと記憶しています。(ちょっとニュアンス違う部分あるかもですが・・・)

これって経営者やリーダシップの観点でものすごく勉強になるなと思ってます。まずは期待値をすり合わせて不満を解消し、同じ目線になることで一体感を持ち、しっかりとゴールを定義して組織を形成する。ステージは異なりますが、僕自身のロールモデルとして参考にしてます。

そして、ここから社長自ら変化を作ることで、クラブを変革させていきます。

アジア各国のサッカークラブとの業務提携、ベトナム代表レ・コン・ビンの獲得、小野や稲本といったレジェンドの獲得、チーム名に「北海道」を追加、エゾデン設立で電気事業に参入、博報堂とのパートナーシップ契約、ホームゲーム地上波放送の拡大、女子チーム(北海道リラ・コンサドーレ)の発足、バトミントンチームとカーリングチームの発足と総合型地域スポーツクラブ化、タイ代表チャナティップの獲得、などなど。

こういったクラブの活動に合わせてチームの成績も向上し、特に2015年の途中から就任した四方田監督のもと、2016年は25勝10分7敗でJ2優勝。中でもJ2タイ記録となるホーム無敗記録(23試合)を達成するなど、ホームでは負けないチームに変貌していきます。

これは札幌ドームという独特な環境や本州とは異なる芝の影響も少なからずあるとは思いますが、野々村社長の示すクラブの方向性と四方田監督が打ち出した「一体感」というわかりやすいキーワードが相乗したことでサポーターの声にも力が宿り、選手が最大限のパフォーマンスを発揮したことで得られた結果だと思っています。

16年ぶり2度目のJ1残留と冒険のはじまり。

2017年、四方田監督のもとJ1の舞台に挑んだ北海道コンサドーレ札幌は16年ぶり2度目のJ1残留を達成。
そして、残留が決まった状態で臨んだ最終節後のセレモニーで社長からミハイロ・ペトロヴィッチ氏への監督オファーが発表され、同時に四方田監督の監督退任とヘッドコーチ就任が決まりました。

この監督人事については、当時サポーターの中でも賛否両論でした。四方田監督の功績やチームの成績を考えると継続が妥当とする向きも多かったと思いますが、結果的にはこの大きな決断が翌年の大躍進に繫がることになります。

個人的には、2017年最終戦後のセレモニーでのヨモさん(四方田監督)の挨拶に胸を打たれました。大きなプレッシャーの中1年間戦い抜き、結果を出したにも関わらず、一見すると非常な通告だと思います。ただ、そこにはノノさん(野々村社長)からのヨモさんへの将来に対する期待も込められており、ヨモさんもそれを感じることができたからこそ受け入れることができたのではないでしょうか。

この頃からノノさんが言っていたのは、「今まで見たことのない、新しい景色をみんなで見に行こう」でした。
こういうわかりやすく共感を呼ぶ言葉を見つけるセンスが本当に素敵だと思います。

2018年、浦和から駒井善成という実力者と川崎から三好康児という将来性抜群な選手などを補強し、ミシャ監督のもと「冒険コンサドーレ」を合言葉に始動。

J1第33節を消化した現在、15勝9分9敗の勝点54の4位。

最終節となる12/1(土)のホーム最終戦、サンフレッチェ広島に勝利すれば3位以上が確定し、来季のACL出場が決定します。

まさに冒険コンサドーレの集大成となる1戦。
その先にある景色はどのようなものか、ぜひあなたも一緒に見にいきませんか?

詳細は下記のページをご覧ください。

さあ、みんなで行くぞACL!

コメント