北海道胆振東部地震から3ヶ月たったので、今だからこそ振り返ってみる

北海道
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2018年9月6日3時7分、北海道胆振地方中東部を震源としたM6.7の地震が発生しました。
最大震度は7で北海道では観測史上初めて。日本でも2016年の熊本地震以来、6回目の大きな地震でした。

あれから3ヶ月以上たった今、僕の住む札幌は地震の影響を感じることなく、日常生活を取り戻すことができていますが、逆に捉えると、すでにあの時の状況や感情など僕個人の記憶もだいぶ薄くなってきています。

そこで、僕自身の中で風化しきる前に、当時の出来事や自分の心境を書き残しておこうと思います。

その時は突然やってくる。

実は僕、地震が発生した時は札幌にいなかったんです。
ほんとたまたまなのですが、仕事の関係で東京に出張中で。
地震発生の前日、9/5から1泊2日の予定でした。

で、9/4〜9/5の朝にかけて北海道付近を台風が通過してました。
この台風もなかなかの暴君で、北海道に来る前に関空に大ダメージを与えるなど関西地方で大暴れしてからの北海道通過でした。

9/5の朝、新千歳空港に向かうためバスに乗って向かったのですが、快速エアポートが止まってた?とかでいつもよりバスが混雑していたのと、千歳周辺では強風の影響でたくさんの木々が倒れたりしていて、バスの窓から倒れている木を眺めていた記憶があります。
この影響で一緒に東京出張を予定していた会社の後輩は空港までたどり着けず、泣く泣く出張をキャンセルしていました。

僕自身、そこまで積極的に行きたい出張ではなかったので、この時点では出張キャンセルが「ずるい」と思っていました。

その後、飛行機は無事東京まで僕を運んでくれ、午後は予定通り仕事の会議に参加し、次の日も朝から会議だったので7時には起きるつもりで、そのままホテルで就寝しました。

次の日、僕が起きたのは6時前でした。
家族からの電話で起こされ、電話口から聞こえる声色の緊迫感と焦りから、すぐに何か起きたということに気づきました。

地震があった。
すごい揺れた。
本棚は倒れてない。
電気が点かない。
テレビが点かない。
情報がない。
何がおきているかわからない。
携帯の電池が切れるかもしれない。
とりあえず生きてるから、心配しないで。
無事帰ってきて。

みたいなことを2分程度で話して、いったん電話を終了。
僕がいる東京はテレビが付くので電話中にはテレビをつけていたが、そこには地震後にはおなじみのL字型画面に、茶色の山肌がはっきりと見える山々の映像が流れていました。

朝にめっぽう弱い僕にすると、起きた直後からこの情報量は整理しきれなかったです。というか、自分がいるホテルの一室の静寂とのギャップが大きすぎて、なかなか実感が湧かなかったんだと思います。

そしてもう一つ僕の仕事柄、地震という出来事には敏感にならざるを得ないのです。
というのも、ITエンジニアという職業の僕はシステム保守としてサービスに影響がないかを心配するのはもちろん、そのシステムが安否確認を主機能とした事業継続に関するシステムなもので、普段はあまり使われないけどこういう時に活躍が期待されているシステムだったりするのです。

頭が目覚める前からフル稼動を求められるにも関わらず、自分は1人静寂の中にいる。
なかなか体験できない不協和な状況でしたが、振り返ってみると僕は冷静でした。

満たされない他者貢献と圧倒的な無力感。

現実を少しずつ理解した僕は、まずは会社のルールに従って自分が保守するシステムに安否を登録。と、同時にシステムの正常稼動を確認。
テレビから新千歳空港の閉鎖を検知すると、その日の夜で予約していた帰りの飛行機を翌日に振り替え手続き。
その後はテレビやネットから情報を収集しつつ、着替えたりなんなりの出社準備を進め、予定より早めてホテルを出ました。
出社後もシステムの問い合わせ対応やトラブル対応、帰れなくなったのでホテル予約や会社的な出張変更の手続きなど、とても慌ただしい1日を過ごしました。

そんな中ずっと感じていたのは、圧倒的な無力感・・・です。

自分にとって大切な人たちや身近な人たちが困っているのに助けられない、本当はそっちにいるべきなのに別のところにいる疎外感、戻りたいけどすぐには戻れない現実。何もできないもやもやと1人戦ってましたね。

他にもその日の出来事はいろいろありますが、細かいところは大人の事情で書けないことも多いので、ざっくりこの日に感じたこと整理してみようと思います。

情報を選別できる能力を身につけておくべし。

これは非常時だけでなく、日常でも必要なスキルかもしれませんが、この時に一層の重要性を感じました。

東京でいろいろ情報収集していても、
「○時間後に断水するらしい」
「夜には携帯のネットワークも停止するらしい」
「しばらく停電が続くらしい」
など、一見すると本当っぽいデマ情報がたくさん見つかりました。

安心感漂う東京で見てれば冷静な判断ができると思うのですが、電気が点かない、信号も消えている、唯一の情報入手源であるスマホだって電池に限りがある、コンビニに行くと長蛇の列、、、といった不安感しかない状況でそういった情報に触れた時でも、しっかりと選別しないといけないなと。

なので、信頼できる情報ソースとして札幌市や北海道などの自治体ホームページや北電やNTTドコモなどの企業が公式に発表している情報を信用していました。ただ、これらって結構遅いんですよね。。。

また、家族とかに情報発信するときはできるだけ正確に表現するよう心がけました。
事実だったら断定的に、可能性があるとかだったらその通りに伝える。
人から人に伝達するうちにその辺が曖昧になっていくんですけどね。噂話ってこわい。

これ、真冬だったらとんでもないことになってたんじゃ・・・。

今回は不幸中の幸い、季節が恵まれてました。寒すぎず、暑すぎず。
夜も暖房なしで過ごすことができました。
ただ、これが真冬だったら本当に大変だったと思います。

電気が止まるってほんと影響が大きいんだなと。
電気が止まると大半の家が暖房すら使えなくなると思うので、何重にも重ね着して布団の中でじっと凌ぐか、避難所に行くか。

避難所は電気なくても暖まれるよう準備できてるんですかね。
あとは札幌のような大都市だとワッと人が集まってもみんな入れるのかとかも気になるし。

この辺は、この機会に対策を考えておいた方が良いと思いますね。
行政機関のみなさま、よろしくお願いします。まあ、その前に電力供給の安定性の方が大事かもですが。

やっぱり、水・カンパン・ラジオは大事。

この3つを聞いてピンと来る方は過去に僕と同じ趣味を持っていた可能性が高いですね。昔よく聞いていたラジオのパーソナリティが事あるごとに「いざという時に備えよう」と言っていたので、すごい耳に残ってるやつです。語呂がいいよね。

でも、本当に大事だと思いました。地震直後はやっぱりみんな食料を求めてスーパーとかコンビニに行列でしたし、その後1週間くらいは品揃えが整わなかったですね。会社から支給された備蓄食料が活躍しました。

あと、テレビがつかないとき、今は他にもスマホがありますが、電波とかバッテリーとか切れたら情報入手源がなくなりますから。そんな時のためのラジオ。100均とかにあるやつで十分。

ちなみに、僕の家はAmazon定期便をやってまして、地震の3日前くらいに野菜ジュース、クリーム玄米ブラン、アーモンドフィッシュの3点セットが大量に納品されてまして、たまたまではありますが食料は抜群の安心感でした。備えあれば憂いなし。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
滅多にない大きな地震を出張で回避するという奇跡と、それによって逆に複雑な心境を体験するという、僕にとって貴重な数日間でした。

次にまた大きな地震が起きるとも限らない、いや、必ずどこかでまた大きな地震が起きると思うので、いざという時のために備えを万全に。では。

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